広瀬川歩記42
心に響いた今年の8月
一昨日は仙台花火の日。もちろん今年は中止。寂しい。
それでも夜7時ごろからとつぜん花火が上がり始めた。高く昇ることもないし、大輪の花を咲かせるわけでもない。時間も20分前後と寂しく終わった。
この写真は何年か前のものだが、このように最後は大きなヤナギのように広がり落ちていくはず。
だが打ち止めでさえも萎縮しているように見える。
昨日は広島の日。朝早くから何となく落ち着かない。
式典において首相が不拡散について触れることはない。アメリカの核の傘に入っているから核兵器廃絶を口にすることはない。極めて常識である。
では本家アメリカのオバマ大統領(当時)が「核兵器のない世界の平和と安全」を訴えたのは何だったのだろう。政治の世界では荒唐無稽のスローガンであったから、大統領としては矛盾する政策をとることになったが、それでも私は理念を表明した大統領を評価したい。
我が国の首相は毎年「核兵器のない世界」の実現に向け努力を重ねたい旨を述べているから、その本気さは疑う余地もない。だが可哀想なことに敗戦国日本の首相としては「核兵器禁止条約」を批准することさえ許されないのだ。辛いことだろう。まして広島や長崎でそのようなことをヌケヌケといわなくてはならのはもっと辛いことだろう。
そんなことを考えながら夜のNHKスペシャルをみて核(原子力)は絶対に人間が手にしてはならないものだと痛感させられた。
ところでNHKはその中で、次のようなことも報道していた。
原爆投下直後クリスチャンの被爆者たちが苦しみに耐えに耐えながら互いを助け合い神に祈る姿を見た看護者が、最初は「キリスト教国があなたたちをこんなむごい目に遭わせたのに、なぜその神を呪わないのか」という憎しみさえ持ったのに、やがて「信者たちが祈っているのは、このような悪業をなしてしまう人類という存在を神に謝って祈る姿なのだ」と悟ったということである。
信仰を持たない自分ではあるが、深く感銘した夜だった。