広瀬川歩記39
いともの悲し
今日も小雨。一昨年はこんなだった。
例年だったら牛越橋のタチアオイがぼちぼち梅雨の終わりを告げてくれるはずなのに、「歩記23」で触れたように、今年公園整備の時に切ってしまったから、もう去年までのような、梅雨の到来とともに花が咲き、梅雨が去ると同時に散るのを見る楽しみがなくなってしまった。もちろん、夏が来た!という叫びもない。
そういう今日。夜になって突然どこかで花火が上がった。
いつもだったらこれは8月5日。人々はまだ明るいうちから思い思いに川辺に集い土手道に腰掛けて空を見上げる。外国の人が混じっているのも嬉しい。
それが今年は今日、だれにも告げることができぬまま、散発的に30分ほど打ち上げた。
心意気はよし。
だが派手な大輪は遠慮して、30分ほどで幕は下りた。あとはもの悲しい「夜のとばり」が広がる。
日本経済第1主義というなら、なぜ徹底したコロナ対策をやろうとしなかったのか。そして今も、今後も。
哀しいというより空しい。声を上げたい。