広瀬川歩記68
歩いていると
川っぷちを澱橋から牛越橋方向に歩いていると、3カ所で、石碑と言えるのだろうか、高さ1.2m程度、横幅1.7m前後の石にぶつかる。
いずれも土手道から下る階段を川に向かって進んだところに設置されている。下の道沿いで、階段の先にあるのだから、ここが公園化されていく時に設けられたものだろう。古いものではない。
澱橋に最も近いのが、これ。
江戸時代、対岸にあった仙台藩士白川七郎屋敷の松にちなむものだと書いてある。
へェ~、どれくらいのお屋敷なんだろう。白川氏といえば、なかなかの名門だったからこうしたところに屋敷を構えていたのだろう。
そこから上流に向かうと、広瀬川が分流するところがあるが、そこに2基め。
対岸に置かれた大日本帝国陸軍第2師団の新兵たちがこの辺で洗濯や水泳をしたんだそうだ。なんで橋から離れたこんな所で洗濯を?
下の道をさらに牛越方向に行くと、しばらくして道は行き止まりとなる。その直前にあるのが観音淵の碑。
これも対岸の観音堂が由来。
どれもこれも対岸由緒。ということはこっちがわすなわち地名「角五郎(つのごろう)」には大したものが無かったのか?「縛り地蔵」なんてのがあるにはあるが。