広瀬川歩記69

 歩きながら考える、というより思う

昨日、本当に久しぶりに旧職場の同僚に会った。

現役の彼は退職老人にコロナをうつすことがあってはならないと考え、予定していたそば屋を急遽、川っ淵に代えた。

それでもソーシャルディスタンスをとれだの、マスクをしろだのと言って気遣ってくれた。

その彼から、今年 春に亡くなった彼の母親がまだ故郷のお墓に埋葬できずにいることを聞いた。地方の名家だからそれなりの葬儀をしなければいけないが、このご時世だからクニに帰ることもままならまいという。

そういえば私の母の五年祭も妻の母親の三年祭(神道では「祭」)も今年見送らざるを得なかった。

そうした折、中曽根元総理の葬儀代が1億近いというので話題になっている。

昨年11月に亡くなり、合同葬を今年3月に執り行う予定であったが、それが延期となってようやく10月の実施となったという。9千万を超える額というのは元首相の葬儀としてさほど不自然なものではない。

参列者はPCRを無料で事前に受けさせることにするのだろうが、天寿を全うしたといえる人物の葬儀をなぜ今やらなければいけないのか、しかもなぜかくも盛大に行わなければならないのか。

 

釈然としないまま9月は終わろうとしている。