広瀬川歩記57

あと1話

もう20年も経ったということ自体不思議なぐらい。未だに自分の中ではオリのように心の奥深くに沈澱した話。

これまでの2話が物故者であったのに、今から書くことは過去形なのに遙かに現在形。

 

1991年仙台に居を移した私が無縁な土地ですぐにやるべきことは、地域の歴史や文化財について知識を得ることだった。そうした中で知った某市の文化財担当者は、ある日、山の中腹にある駐車場に私を連れて行って、宮城県にはスゴイ人がいるんですと言い始めた。そして広い駐車場の「こっち」と「あっち」を指で示した上で、実演を交えながら「こっち」から遠く離れた「あっち」まで小走りして、スゴイ人はどこに石器があるか分かるんです、と言い切った。

他県の人はマユツバだというけれど、宮城の人は彼の特殊才能を疑いません。色々な遺跡で奇跡を起こしているからです、といった。まだ宮城県人としての自覚がない私は、上手なマジシャンにすぐに惑わされる自分を思い出しながら、「そうですか。」とだけ答えた。

その後同様の話は、何人からも、そして幾度となく聞かされたが、とりわけ傑作であったのは、彼は地表から5mの地下が見えるという話だった。

若い頃私は中世の城跡に行くのに地図をあまり必要としなかった。城跡から数キロ離れた駅を下りて古そうな田舎道を探し何キロも歩くと、ふとここを曲がるといいのかなという曲がり角に突き当たり、それから1~2キロも歩くと目的の城跡に到着ということがよくあった。まるで匂いに引かれるような感じであった。しかしそれは古道の面影を目で追うことができるからである。

だから私は人にはヘンな能力があってもいいと思う。

発掘者の中には、やたらと遺構にツキのある人、遺物に良く当たる人がいる。だが彼らは地表からニオイをかぎ分けるわけではない。注意深く目で見えるものをとらえるからである。

それなのにスゴイ人の特殊能力は地面を透視しちゃうというのである。

 

私は彼らの発掘にたびたび誘われたが、一度も応じなかった。遺跡のマジックショーは趣味ではなかったからである。

しかし2000年の日本を震撼させた「旧石器捏造事件」は、彼の発掘に背を向けていた私にも思いがけないとばっちりをくらわせた。それも、欺されたと憤った人たちからである。

愚かな被害者が加害者に回ることは、世の中色々なことで起こりうることである。