広瀬川歩記72
トビ・とんび・鳶
空が高く、青さを増すようような季節は、トビが悠然として見える。
まるで空の王者であるかのように、大地を見下ろす。
ところが、そのとんびをからかうヤツがいる。
見ていると、だいたいカラスに閉口して先にその場を離れようとするのはトンビだし、そもそもオチョッカイをかけるのもカラス。トンビの負け。
トンビは生き餌もロクに獲らないし、唯むだに空をぐるぐる回るだけ?
ところがこの鳶、ヒトに突っかかってくることがある。
実際襲われたことがあるが、その理由はよく分からない。強いて言えば、子育て中かなにかの折に、知らずにレンズを向けたというようなことだったのか。
3年前の5月下旬のことである。川辺を歩いていた私は、突然後頭部にショックを受けた。音は全く聞こえなかったから振り返りもしなかったが、すぐ上を通過するものを見て、鳶であることを確認した。
驚いたことに鳶は反転すると真っ正面から第二次、第三次襲撃をかけてきた。私はフラッシュを立て、目くらましで攻撃をかわそうとしたが、彼は3度まで攻撃を止めようとはしなかった。
迫力があり、恐怖を感じるものである。
広瀬川歩記71
ちょっと残念な昨日
昨日書くつもりだったのに、特に楽しいこと、微笑ましいこともなく、1日が過ぎてしまった。ちょっと残念な10月3日。
今日は、ヤケ気味で昨日のニュースに触れよう。
動物商が商品として売り出す犬のゲージを広くするようにとの報道があって、違反者は指導対象となる旨が示されたが、動物商(ブリーダー)の言い分としては、現在より籠を大きくすると飼える犬の数が減って、商売が成り立たなくなるというものだった。
それっておかしくない?
映像では身体イッパイ、いっぱいのゲージに押し込められた小犬が写っていたが、ゲージを超えて成長するとどうなるのだろう。
商売にならないから「処分」することは明らかである。
何度でも言わなければいけない。日本ほど動物商が多い国は世界中どこにもない。
希少種の売買、生態系を壊す危険な動物が平気で売られている国はない。狭い家では到底飼うべきではない大きな生物が売られている国もない。
環境省も、なぜゲージにこだわるのか分からない。もっと根本的にとらえ、私たち人間と同じ地球上の「生き物」に私たちは謙虚にのぞまなければならないとは思わないのだろうか。
広瀬川歩記69
歩きながら考える、というより思う
昨日、本当に久しぶりに旧職場の同僚に会った。
現役の彼は退職老人にコロナをうつすことがあってはならないと考え、予定していたそば屋を急遽、川っ淵に代えた。
それでもソーシャルディスタンスをとれだの、マスクをしろだのと言って気遣ってくれた。
その彼から、今年 春に亡くなった彼の母親がまだ故郷のお墓に埋葬できずにいることを聞いた。地方の名家だからそれなりの葬儀をしなければいけないが、このご時世だからクニに帰ることもままならまいという。
そういえば私の母の五年祭も妻の母親の三年祭(神道では「祭」)も今年見送らざるを得なかった。
そうした折、中曽根元総理の葬儀代が1億近いというので話題になっている。
昨年11月に亡くなり、合同葬を今年3月に執り行う予定であったが、それが延期となってようやく10月の実施となったという。9千万を超える額というのは元首相の葬儀としてさほど不自然なものではない。
参列者はPCRを無料で事前に受けさせることにするのだろうが、天寿を全うしたといえる人物の葬儀をなぜ今やらなければいけないのか、しかもなぜかくも盛大に行わなければならないのか。
釈然としないまま9月は終わろうとしている。
広瀬川歩記68
歩いていると
川っぷちを澱橋から牛越橋方向に歩いていると、3カ所で、石碑と言えるのだろうか、高さ1.2m程度、横幅1.7m前後の石にぶつかる。
いずれも土手道から下る階段を川に向かって進んだところに設置されている。下の道沿いで、階段の先にあるのだから、ここが公園化されていく時に設けられたものだろう。古いものではない。
澱橋に最も近いのが、これ。
江戸時代、対岸にあった仙台藩士白川七郎屋敷の松にちなむものだと書いてある。
へェ~、どれくらいのお屋敷なんだろう。白川氏といえば、なかなかの名門だったからこうしたところに屋敷を構えていたのだろう。
そこから上流に向かうと、広瀬川が分流するところがあるが、そこに2基め。
対岸に置かれた大日本帝国陸軍第2師団の新兵たちがこの辺で洗濯や水泳をしたんだそうだ。なんで橋から離れたこんな所で洗濯を?
下の道をさらに牛越方向に行くと、しばらくして道は行き止まりとなる。その直前にあるのが観音淵の碑。
これも対岸の観音堂が由来。
どれもこれも対岸由緒。ということはこっちがわすなわち地名「角五郎(つのごろう)」には大したものが無かったのか?「縛り地蔵」なんてのがあるにはあるが。