広瀬川歩記19
コロナ道なんて言いたくないけど
いつものように澱橋から上流に向かって歩き(アッ、そうそう、「広瀬川歩記」は「ひろせがわあるき」って読んで下さいね)、牛越橋の下をくぐると、オオヨシキリの声が聞こえてきた。
よし今日こそは!と張り切って探し求めるが、声はすれども姿は見えず。本日は夏至であるというのに曇り空で、6時前にしてすでに暗い。30分もしたら写真は撮れなくなるだろう。
ところが面白いものである。この辺にいてくれ!とあてずっぽにレンズを向けてみたら何とオオヨシキリ。こうなればピントが合おうと合うまいと、とにかくシャッターを切る。
やれやれ、やっと撮影できた。暗すぎるし、葉の陰だからどうかな。
オオヨシキリが移動した。しかしまだ近くにいる。もう1回チャンスが来るかもしれない。そう思っているところへ、レンズに飛び込んできたのはヒヨドリ。水浴びに来たのだ。
じゃあついでにこれも撮っちゃおう。
オオヨシキリはもう現れなかった。いつもの散歩の折り返し点は滝前橋の向こう。道が曲がるところの角だ。
滝前橋まで戻って川を見ると、天下の広瀬川であるはずが、一またぎの狭い小川になっている。梅雨。でも雨がない。川の水は極端に少ない。
牛越橋を越え、土手上に出る。下を見ると河川敷に細い一本の道が続いている、往路で使った道だが、去年までは夏になると草が生え、道がなくなってしまったのに、今年はひと味違う。細いが確かに道となって続いている。
コロナ騒ぎで色々なひとが繰り返し通り、作り上げていった道なのだ。だがコロナ道と呼ぶのはイヤだ。