広瀬川歩記17
時が遷れば
4月5日は日曜日だった。コロナ患者はその前日までに仙台で17人に達していたが、この日は晴れたせいか河川敷公園に出て楽しむ人も多く見受けられた。
中には川を渡って中の島に入っていく人たちもいた。
澱橋から見える景色は、思えば随分変わったものだ。今、写真右手の公園側は「キレイ」になっており、左手にある中の島も樹木がかなり切り倒され見通しがよくなった。だからこそ人も渡りたがるのだ。
上は2010年の写真。中の島ばかりか公園側も緑が濃い。
その前の年、中の島からはしばしばキジの声が聞こえてきた。声の方を見ると立派なオスが一抱えもある石の上で盛んに啼いていた。数日、同じような姿が見られたが、それはあたかも見渡す限り自分のテリトリーであると宣言しているようでもあり、嫁候補に自分のかっこよさをアピールしているようでもあった。
天敵はカラスとトビ。当時、ヒトは滅多に中の島に渡らなかった。ノラネコは渡れなかっただろう。
2016年だったか、突然公園管理者が島に入り、「余分な」樹木を倒してヒトが島を制圧した。
中の島を含む公園は「整備」されたようだが、その分、野鳥は離れ、ヒトのための公園という体裁を整えていったように見える。
ただし未整備部分もある。トイレがない。一番近くても5分以上は歩かないと無い。BBQの人たちはどうしているのだろう。