広瀬川歩記191
おお、これは!
つい最近、ある自治体に頼まれて中世の山城を測量した。
その時の話である。すべての測量を終えることができ、休憩している時に仲間の一人が「地図を見ていたら、この近くに枡形遺構があるみたいだ。」と言い出した。その地図というのは「赤色地図」という特殊な地図で、地表の凹凸が浮かび上がって見える。
彼は枡形遺構だろうと推測したのであるが、私は半信半疑であった。というのは、枡形というのは城の出入り口の一種で、どこにでもあるようなものではないからだ。しかし火薬庫かもしれないし、何か別の遺構かもしれない。山城の関連遺構である可能性は否定できないので、皆で見に行くことにした。
すると目指す地点に、まさに枡形と言える遺構があったのだ。しかもその周辺には関連遺構が存在することもわかり、総合的に見ると山城の荷揚場である可能性が高いのでではないかと推測でき た。
まさに発見者の大手柄である。
画面左側の高い部分は北土塁である。その土塁は撮影者の足下から画面外の右にのびて東土塁となり、さらに写真右端中央よりやや高い位置に微かに写る南土塁へと連続して枡形状に内部の平坦部(中央やや右手に見える測量機器の周辺)を囲っている。
興奮冷めやらぬ翌日、私たちは早速測量を開始した。
広瀬川歩記190
おめでとう!そして残念・・・
長い時間をかけて行われてきた第18回ショパン国際ピアノコンクール。ついに21日に最終結果が出て、反田恭平さんと小林愛実さん、二人の笑顔が溢れた。
反田さんは、もう一人別の人と二人2位、4位に小林さん。
3次まで進んだ角野隼斗さんは異色のピアニストで、彼も快挙といえるが、そもそも本選に進んだ日本人演奏家が10人以上というのもスゴイ。多分全体の8分の1以上になるのではないでしょうか。
反田さんのコンサートには2度行ったけれど、山形で聞いた1回目の時弾いたベートーベンのソナタは特に印象的でした。彼の写真を載せたいけれどルール違反だから、これを読んで下さる方はせめて「ピアノの森」の阿字野壮介を思い出して下さい。
こう言ったら申し訳ないけれど、お二人にはワンツーフィニッシュして欲しかった。
広瀬川歩記189
侵略的外来種
広瀬川の川辺では、最近、黄色が目につきます。雄鳥の登坂のような、槍先のような、上の方だけ密集する黄色。
国立環境研究所の「進入生物データベース」によると、すでに明治の時代に園芸用としてもたらされたものだそうですけど、今では侵略的外来種100のひとつとして、外来生物法で要注意外来生物に指定されている植物です。
何でしょう。
種子だけでなく、長い地下茎でも増えるそうですが、何といっても面白いのはアレロパシーという化学物質をもっていて周辺植物の成長を抑制することができるというのです。何とたくましいことでしょうか。でもそれによって迷惑を被るのは在来種です。
何でも、ある研究によるとアレロパシーは広がりすぎた自分をも抑制するというのですが、それもまた興味深い話です。イナゴなどが異常繁殖して、それが突如滅びていくのを想起します。
見えざる神の意思によるものでしょうか。摂理と言ってもいいかもしれませんね。
人類もそうならないようウイルスがいるのでしょうか。
広瀬川歩記188
食欲の秋
植物の陰で見えないけれど、このあたりにはダイサギが6羽、カワウが4羽そして、今、上流(左手)の方に飛び去ろうとしているかのように見える(じつはUターンしてくる)アオサギ1羽 いる。
ダイサギは水の中に入ると、脚でステップを踏んで隠れている小魚を追い出す。カワウは水中で素早くそれを横取りする。
アオサギは強気である。2羽のダイサギを蹴散らす光景を目にしたことがある。だがステップは上手ではないらしい。よくダイサギの傍にいる。もっともダイサギも1羽の時には、自分からアオサギの近くに降りることがある。
どうであれ小魚にとっては迷惑な話だとしか言いようがない。それでも知らぬ顔をして広瀬川は流れていく。
広瀬川歩記186
向こう岸から
一昨日は、とても良い天気だった。少し暑かったといっても、空は青く、秋らしく赤とんぼが群れ舞う日だった。
それで私も、いつも通りではなく、牛越橋を渡って右岸を遡ってみた。
この辺だったら石切場からも近いし、河原のどこかに仙台城の石垣石の一つでも落ちていないか、そんなことを思いながら礫河原を歩いている時、ふと顔を上げて驚いた。
いつも歩く道は左岸。ここから20mあるかないか。それなのに見える景色が全く違う。
牛越橋も
大岩も。
同じものを見ているとは思えないほど景色が違う。
私たちはしばしば同じ方向からものを見続ける。それになれるとそれ以外の視点があることを忘れる。もしくはあると知っているとそれを否定したくなる。
思わぬことから私は自分の客観性について問われたらしい。