広瀬川歩記150
季節は移り(3)
これは、去年の元旦に撮った写真。
澱橋の下流で広瀬川は大きく右手にカーブして、そこに中州を作っているのが見えるでしょう。中州の左手が凹んでいるのは、ヘクリ沢からの流れ込みが作ったものです。
増水によって中州は形を変えながらも、次第に大きくなってきました。そこら一帯は水鳥のサンクチュアリ。ネコも人も来ません。ヘクリ沢のすぐ先には、かつてキジが巣を作っていました。
それが今年、沢まで延びた河川敷に重機が入り、土砂を浚い始めたのです。
川から引き上げられた土砂は、石と砂に分けられ、それぞれにどこかに運び去られたのですが、私には水鳥たちがどうなったか、そればかりが気になっていました。
だから工事が終わるとすぐに行ってみたのです。
中州がなくなったセイで水の流れが変わりました。全体に川幅が広がった分、浅くなりまるで違う川のようです。もっと先まで行ってみましょう。
かつて水鳥たちの並ぶ姿が見られたヘクリ沢の先(下流側)は、ただ岩盤が岸を形成するだけとなりました。その上を歩くと申し訳ないような気持ちにさせられます。
ため息をつき、私は戻るしかありません。
広瀬川歩記149
季節は移り(2)
1月末か2月初め、広瀬川改修工事は澱橋下を拠点として始まった。まだ雪の降る頃だった。
橋の下手が大きくカーブして、流れが滞りがちなのを懸念したのだろう。土砂を取り除く作業が続く。
4月も下旬になって、ようやくめどがついたと思われる。大小様々な石が河床から引き上げられ橋の下に形良く集められた。
4月下旬、河床から引き上げられた石は橋の下に集積された。中には仙台城の石垣と同じ切り出し法を用いた石まである。
高く積まれた石は次々に運び出され、それを運ぶ砂利トラも、ひっきりなしにやってきた。
案外、工事終了までは時間がかかった。5月半ば、ようやく重機が姿を見せなくなり、トラックも保安員もいなくなった。
とはいえ、トラックの出入り口付近の様子を見ると、まだすべてが完了したわけではないらしい。
それにしても、改修工事したあとの川の蛇行部はどうなっただろうか。見に行きたい。
広瀬川歩記148
季節は移り(1)
4月17日をもって中断したこのブログ、もちろんカワガラスさえ見つければ再開するはずだったのに、すでに6月中旬にさしかかる。
さてそれではこの間のトピックスをご披露しよう、と思い立ったその翌日。何とカワガラスが水上数10㎝をかけ抜けていくのが見えた。
折角登場したのに、止まらない。だから写真もない。どこに向かったのかも分からないうちに消え失せてしまった。
それで、改めて空白期間の写真を振り返ってみたら、4月18日の写真は、金魚の水替え風景。水槽から桶に移してみると、大きさに大差がついている。
アカネはサクラの丁度半分。買ってきた時には、むしろアカネの方が大きかったのに、1㎝ほど大きくなっただけ。しかも腹を水面に出して、すぐに転覆してしまう。
一方、8㎝を超えるほどに成長したサクラには、巨漢過ぎるイメージ。千代桜とか琴櫻、富士桜なんて改名しようか。
5月23日。暖かい日を選んで室外飼育へ。もう最低気温が10℃を切ることは無いだろうという日にお引っ越し。もうそれほど暖かくなったのだ。
どうもアカネの体調もいいらしい。すぐにひっくり返って心配なアカネだが、ここまでよく頑張ってきた。これからも頑張れ!
広瀬川歩記147
嬉しいね!
今日からは、書かなかったここ1ヶ月半の出来事を載せていくつもりだったから、古いところから書き始める予定であったのに、昨日思いがけないものを見たので、何より優先して書こう。
カルガモが子育て真っ最中!
じっと見ていたら、カルガモが出てきた。
ところが続いてヒナが大慌てで。
1羽、2羽・・・何羽いるのか。
大慌てでバラバラになって出てきた。
混乱のヒナたちを親鳥が早く行くよう促す。
すぐ近くでチャンスを窺っているのはハシブトカラス。
さっきは、ドバトに狙いを付けていたが、今は太ったヒナ。
背後からあっという間にカルガモの後ろに。危ない!
だが、人間がそこにいたからか、カラスはあきらめ、脅威は去った。
しかしこれからも脅威は続く。それでも無事に成長していって欲しい。がんばれ!
広瀬川歩記145
七重八重 花は咲けども
梅と桜が競演していた川縁も、今は華やかさを失ってしまった。
サクラは、いよいよ終わり期を迎え、一抹の寂しさを覚えて、もう無いのかと探し求めて歩き出す。
ここで遺跡まがいを見つけた。
随分熱心に作ったものだ。何だか石器ねつ造を思い出す。イヤな思い出だ。
あった。よかった。何という種類か。人が行けないところでひっそりと咲いていた。
それでも季節は山吹の頃。
広瀬川歩記144
ハトって
向こうでアメリカの動物滅亡史
藤原 英司 著
向こうで何かが止まった。
キジバトかな?と近づいてみると、案の定である。道の脇にある柵からキョロキョロとあたりを見回している。
さらに近づく。数メートル手前でようやく、道におりた。だがそっちは私の歩く方向。私が進む。ハトはその先に行く。また進む。またトコトコと先に行く。
数回繰り返したあと、少し離れた柵の上に止まったが、この鳥は特に警戒心が弱い。何しろ伝書鳩のように人に飼われる仲間もいるくらいだから。
そうそう、昔読んだ(多分)藤原英司著『アメリカの動物滅亡史』という本に、たしか、北アメリカに数十億生息していたというリョコウバトが食用に乱獲され尽くし、マーサと名付けられ動物園で飼育された最後の1羽は20世紀初頭に老衰により死亡したという事が書いてあった。
リョコウバトの肉が美味でなかったら、滅亡することもなかったのだろうけれど、警戒心の弱さもあったのかもしれない。
それにしても「最近この辺では見かけなくなったけれど、他所に行けばまだまだいるさ。」という台詞がどれほど根拠のないものであるか、藤原は警告していた。
この本は、退職の時に他の本とともに人にやってしまったが、もう一度読みたい。
でも「どこかに行けばある。」という発想は止めよう。